查看更多>>摘要:これは,『空語集』(巻の48.明治31年)に記された一項目の題名である.概要は次の通りである. 林檎は渋いもの.近来誰いうとなく坊間(※世間)に傳わりて,當(※酒田)港の料理屋等にては最早苹果を客に供するものなき有様なるが,この程鶴岡の苹果商人にして,天性武骨肌なる男,港に舞い込み,炎天に背を曝らし,頻りに行商をやりつつあり.両3日前のことなりととか.その紳商(※教養 . 品位を備えた一流の商人),用事の為め,小幡樓(※明治9年から平成10年まで酒田の日和山公園の近くにあった料亭.「おくりびと」という映画のロケ地として知られる)の前を通行せるとき,彼の苹果賣り男,山王森(※「松林銘」と呼ばれる本間家の植林の功績を伝える石碑があって,最上川の河口に近い風光明媚な場所.その一部は現在日和山公園と呼ばれている)の下蔭に腰を卸し,何にやら頻りに,嘆息(※ため息をつく)呻吟(※苦しんでうめく)の体なり.紳商も至て,一面識のある男にや.不審さに傍に立寄り,天狗をも取て食うと評判あるものが,何故ありて,左まて塞き切りて居らるるや.厌う(※厭う)仕事よと言い掛くれば,彼の苹果賣り,頭を擧げて一礼し,いなとよ.是には少しの譯あり. 無損料(※使用料)とならば,御迷惑ながらも,耳朶(※耳)を拝借仕りたし.御承知の通り,我等の(※仕)事は菓物造り一方,百姓にて,知慧(※知惠),器量とも,人並ならざれど,本業の菓物なれば,何時も出来ばえ好しとて,華客(※得 意客)方の一方ならぬひいきに鼻柱高"なり.いざ,一儲せんと御当地まで飛び込みしが,飛んだ盲目の勘定運び.御当地の人〃は,苹菓は渋いものとて,誰れしも取合うて下さりませぬ.聞けば,欲張の行商共が,中熟種の賣仕舞となりて,品物切れ折柄にも,華客の注文とあれば,鈔(※紙幣)を取り逃がすのが残念さに,今はまだ30 日も早き晩熟種を持ち住き,渋くて苦くて,おまけに歯も容易に立たざる品物を,誤魔化し賣りするとの評判.成程これでは苹果と謂うものは,まずきものと言わるるも詮方なし.我等が持ち来れるは,御覧の通りのきやら(※伽羅.良い物)舟とて,中熟にて優等品なるに,華客方が彼の慾張り商人と一把一とからげに(※一絡げに)見くびらるる. 有からぬ託宣(※神のお告げ)は,格子の内から聲朗く (※聞く)と雖も,今時,苹果など食う御客がありませんと叱らるるが,遊郭幾十軒異ロ同音とは,我等は實に果して,物も得言はで(※言わないで),ほう々々(※這々の体)に逃げ帰りぬ. 総じて,酒田は衣服飲食に贅を盡すと聞けるに,苹果を味わうだけの舌,短きぞ.余黙行かぬ仕義(※物事の成り行き)なし.いずれ冥途とやら,閻魔の調べあらんとき,苹果の味は渋きものぞと答えて,この嘘突奴(※嘘吐奴)の舌,抜きやれと睨らみ飛ばされし時もあるべしと.今,つくづく笑止考うる最中,貴君に呼び竒(※寄せ)られて,思わぬ長話をしたり.許されよ.去らばと,苹果籠引擔ぎ,中熟優等の苹果の御用はいかが.